あの頃の香川県
少し前に香川県に行ってきました。
一回は伯父さんのお葬式で行ったのと、もう一回はファミリーでうどんを食べに行きました。
私の母が香川県出身なので、子供の頃は夏休みと冬休みはほとんど6歳上の兄と香川県の志度町で過ごしていました。
青い国 四国
私が子供頃、香川県へ行く時は京都から岡山まで新幹線で行きます。
キヨスクで水筒型のお茶と冷凍みかんを買ったりしてワクワクの往路です。
岡山で宇野線に乗り換えて宇野まで行って宇高連絡船に乗り換えるのですが、いつも連絡船のりばまで ダッシュしていました。
連絡船の甲板でうどんやサンドイッチを食べたり、船内の映りの悪いテレビを見たり。四国の天気予報を見て、「もうすぐ四国」と興奮したものです。
船内で買う缶ジュースに青い国 四国と書いてあった記憶があります。
なかなかよいキャッチコピーだと思いません?今更ながら。
高松に近くなるとたくさんの看板やネオンサインが見えてきます。
高松駅に着くと伯父さんが改札口でいつも待っていてくれました。
高松駅のチッキで送っておいた荷物を受け取り、伯父さんのダイハツフェローマックスに乗り志度へと向かいます。
美しい志度町
志度町は平成の大合併で現在はさぬき市の一部となっています。
穏やかな志度湾、里山、農村部には広大な田んぼ、果樹園、養鶏場や豚小屋。
峠を越えると有名な津田の松原があります。遊び場だらけ。
子供にとってたまらない環境です。
毎日、日が暮れるまで遊んで、夜は星空を眺めました。
当時の志度町は灯りが少ないからか、日が暮れると本当に真っ暗で、天の川がハッキリと見えました。
早過ぎた太陽博
伯父さんは警察官で夜勤明けの日は私と兄を色々な所へ連れて行ってくれました。
なかでも大川オアシスというドライブインによく行きました。
当時流行してたスペースインベーダーというゲームをしたり、喫茶コーナーでクリームソーダを飲んだり。小さな私は少し大きくなった気分でした。
仁尾の太陽博へも連れて行ってもらいました。
香川県民以外で太陽博を覚えている人っているのでしょうか。
太陽エネルギーがテーマの博覧会で、ソーラー発電全盛の今から思うと意義のある博覧会であったと気付かされます。
当時は夢物語だと思っていましたが。
うどん県
ファミリーで香川県へ行った時はうどん屋さん巡りをしました。
実は子供の頃あれだけ香川県に来てたのに、うどんを食べに行った事がなかったのです。
15時から19時の間に4軒回りました。
やっぱり、香川県で食べる讃岐うどんは違いますね。美味しいです。
香川県は穏やかな人が多い様に感じます。
私の伯父さんも豪快な人でしたが、穏やかでした。
今は橋も出来て気軽に四国に渡れるので何回でも香川県に来ようと決めました。
よろしければ、みなさんも香川県の魅力を探してみて下さい。
ステキな所ですよ!