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ミスター・ポーゴの安住の地

悪役レスラー、ミスター・ポーゴが旅立ちました。

ミスター・ポーゴ

ミスター・ポーゴ 本名・関川哲夫(せきがわ・てつお)。1951年2月5日、群馬県伊勢崎市生まれ。71年、中大経済学部国際経済学科を中退し大相撲の大鵬部屋へ入門。関川の四股名で活躍し、廃業後に新日本プロレスに入門。1972年3月20日に藤波辰巳戦でデビュー。その後単身渡米し89年まで米国やプエルトリコを主戦場に戦い、90年にFMWに参戦。大仁田厚さんのライバルとして活動。

日本人なのに”来日レスラー”

私は幼い頃に愛読していた「プロレス大百科」でミスター・ポーゴを知りました。

「プロレス大百科」はレスラーが団体ごとに区分けされて掲載されているのですが、ミスター・ポーゴはフリーランスのカテゴリーに小さく掲載されていました。

「プロレス大百科」しか情報が無い当時、私にとってミスター・ポーゴはミステリアスな存在でした。

ある時、金曜8時のワールドプロレスリングを見ていると次期シリーズの来日選手の紹介VTRにミスター・ポーゴがいたのです。

同じく大物フリーランスのケンドー・ナガサキのパートナーとして紹介されていました。

ケンドー・ナガサキとミスター・ポーゴの来日に少年ファンの私は興奮しました。

しかし…

ケンドー・ナガサキとミスター・ポーゴはシリーズの主役となる事はありませんでした。

ケンドー・ナガサキはそれなりに活躍しましたがミスター・ポーゴはヤラレ役です。

ドラゴンをあしらったロングパンツにタンクトップで戦うミスター・ポーゴは他の日本人選手とは全く様子が違いました。完全にアメリカンスタイルなのです。

今から思うとヤラレ役を全うしていたのでしょう。

FMWの主役に

それから随分してからFMWに黒い頭巾を被って登場し参戦をアピールし、次のシリーズからプエルトリコ軍として来日しました。

FMW時代のミスター・ポーゴは新日本時代とは全く違いました。

凶器を武器と言い、特製の鎖がまを対戦相手の額に突き立てたり、特大の炎を口から噴射していました。

ただでさえ過激なスタイルのFMWでも群を抜いて危険な存在でした。

ミスター・ポーゴがハードコアなプロレスを日本に持ち込んだと言っても良いと思います。

最近のミスター・ポーゴ

その後、選挙に出たり、お店をやったりとすっかり日本に定着していた様ですね。

私は最近はプロレスを観なくなっていたので訃報に驚きました。

まだ、現役だったとは。

プエルトリコ

プロレス雑誌か何かでプエルトリコで取材に応じるミスター・ポーゴを見た事があります。

豪華なだだっ広い、如何にも南国といった雰囲気のマンションでプエルトリコが大好きだと語っていた様におもいます。

でかいサングラスをかけて満面の笑みでしたが、同時に哀愁も漂っていました。

日本のプロレス界から弾かれて腕っぷし一つでアメリカやプエルトリコで生き抜いてきた男の悲しみでしょうか。

 

大相撲出身のミスター・ポーゴにとって日本とはどんな国だったのでしょうか。

日本が安住の地だったのでしょうか。

私はミスター・ポーゴにはプエルトリコがよく似合うと思います。

 

悪役レスラー一筋のミスター・ポーゴのご冥福をお祈りします。