自由と不自由、権利と文化
中東のサウジアラビアでTシャツにミニスカート姿の女性が一時拘束されると言うニュースがありました。
このニュースはイスラム側から見るのと西側諸国の視点から見るのとでニュアンスが大きく違ってきます。
イスラム側からの視点
サウジアラビアという国はイスラム教の教えを厳格に守る国です。
そのイスラム教の教えによると、女性は外出するときには全身を覆う衣装を身につけ、スカーフのようなもので頭髪を隠すことになっているらしいです。
その他にも女性は車の運転をしてはならないとか、一定の職業につけない、何をするにも後見人の同意が必要など、多くの行動に制限があります。
今回の事例はイスラム教から見ると明らかに決まりを破っています。
西側からの視点
自由主義社会から今回の事を見ると、明らかな女性差別です。
すべての人が自分の好きな服を着て好きなところへ行くのは当たり前の権利です。
宗教が介入して拘束まで至ると言う事は、自由主義社会から見れば全く理解の出来ないことです。
サウジアラビアはイスラム教の国
今回の出来事はイスラム教の国であるサウジアラビアでの出来事です。
私は長い年月をかけて築かれたイスラム教の教えによる社会のルールが全て間違っているとは思えません。
宗教の力で統治しているのだから戒律を破る事は法を犯すことになるのです。
数百年前には西欧でも
数百年前には西欧社会でも宗教による統治が行われていました。
よく知られた事柄で言うと、ガリレオ・ガリレイやジャンヌ・ダルクが裁かれた裁判は思いっきり宗教に根ざしたものでした。
そんな時代から長い年月をかけて西欧の人々が反省を繰り返して今の自由主義社会が成り立ったのだと思います。
日本は…
日本は明治以降、積極的に西欧の文化を取り入れてきました。
しかし男女差別を含むいろいろな差別が残っている面も多々あると思います。
しかし、それで拘束されるような事はありません。
宗教的なことに目を向けてみると、やはり女人禁制と言うような宗教儀式などは多く残っています。
例えば大相撲の土俵に女性が登ったりすれば大問題になること間違いなしです。
中東諸国は自由主義と接してからまだ日が浅い
西欧諸国が数百年かけて今の自由主義社会にたどり着いたのに対して、中東の国々が自由主義と言うものを知ってからまだ数十年です。
イスラム過激派の話は置いておいて、中東と言う厳しい自然環境の中で生き抜くために生まれたであろうイスラム教を根幹とする社会のルールを、今すぐ自由主義に変えるのは相当無理があるように思います。
今回のTシャツ、ミニスカート姿の女性拘束の件を肯定しているわけではありません。
しかし、長い年月をかけて築かれた社会のルールを変えると言うのは、さらに長い年月をかけなければならないのではないでしょうか。
そもそも、中東で暮らす人々が自由主義に変わりたいと思っているかどうかもわかりません。
日本の例は特殊
西欧の人々は「日本は変わったじゃないか」と言われるかもしれません。
日本には神道や仏教が古くからあり、キリスト教も迫害などもありましたが広まりました
日本人はある意味宗教に対してはおおらかな気持ちのある民族だと思います。
お正月に初詣に行き、結婚式を教会で挙げ、お葬式ではお坊さんにお経を読んでもらいます。
そして、良いものは素直に受け入れて、さらにより良いものに昇華していくという精神があると思います。
私はそういうところが日本人の素晴らしさにつながっていると思います。
日本の例は特殊なのです。
我々が中東の人々に自由主義を押し付けるのではなく、ソフトに少しずつ権利が認められて行くのが良いのではないでしょうか。
彼らの文化というものを尊重しなければなりません。